療育手帳を取得することになった時、現実を突きつけられたような気がして素直に受け入れることができませんでした。しかし今では、ハルくんも親である私も安心して保育園へ通わせることができ、また、香美市内外を問わずハルくんに必要な支援を受けさせることができるようになりました。
「発達障害のある我が子に安心して教育や支援を受けさせてあげたい。仕事をしながらでも!」
香美市立移住定住交流センター(運営:NPO法人いなかみ)のスタッフである私の体験を通して、高知県香美市(かみし)は安心して子育てができる場所だと感じたため、その一旦をお伝えさせていただこうと思います。
過去の経験とハルくん誕生
2020年2月のコロナ禍、ハルくんが誕生しました。高齢出産だったので色々なことを心配していましたが、身体的な異常もみられず、無事に産まれてくれて私は一安心しました。その当時コロナ禍だった事もあり、外出はせずハル姉ちゃんたち(ハルくんにはお姉ちゃんが2人います)と毎日ハルくんと遊んでいました。子どもたちと過ごす家族だけの時間が本当に幸せでした。
長女は全体的に発達が遅く、身体的な発達や言葉の理解など、乳幼児検診のたび指導を受けていました。最初の子どもだったこともあり、他と比べようもなく、指導を受けるたびに私は落ち込みました。
しかしながら、幼稚園に入ってからは何事もなかったかのようにすくすくと成長し、高校生になった現在では、本当にたのもしい存在になりました。
そんな経験をしたこともあり、次女とハルくんの事は他の子どもと比べず、目の前の、その子の成長だけを見てきました。
しかしハルくんは、10ヶ月検診で要検査となりました。検診当日、ハイハイやヨチヨチと歩き回る子供たちの中、ハルくんは寝転んだまま自分から動こうとはしませんでした。そこで初めて、明らかな成長の違いを目の当たりにしました。しかし私は、発達が少し遅いだけでいつかは追いつく!と思い込んでいました。
その後、専門医を紹介され、香美市から車で20分ほどの高知医療センターに予約し、受診しました。高知医療センターでは、遺伝子の検査や全身麻酔をしての脳の画像検査など、色々な検査を受けましたがはっきりとした異常は見られませんでした。
他にも、香美市から車で40分ほどの高知県療育福祉センターで、整形外科と小児科とを受診しました。
ただ、どの先生もハルくんは「同じ年齢の子より、発達がかなりゆっくりです。」と、おっしゃるばかりです。
その後、発達障害と診断され、一才になってもハイハイすらできなかったハルくん。身体障害者手帳を取得し、両足が極端に外を向いていたため、足にギブスをすることになりました。ギブスが取れてからは、編み上げ式の装具を毎日つけるようになります。
現実を突きつけられ
発達障害と診断を受けた当時、私はその事実を素直に受け入れることができませんでした。
ハルくんの寝顔を見るたび、毎日申し訳ない気持ちでとめどなく涙が溢れました。この子は幸せに生きて行けるだろうか。ハルくんはこれから先、生きていくなかで、一般的に言う普通のこと、当たり前のことを諦めなければならないし、ハル姉ちゃんたちにもハルくんのことでたくさん我慢させたり、手伝ってもらったりすることができてくるだろう。周りの人たちにもハルくんがいるだけで迷惑をかけてしまうのではないかと。
普通に産めなかった自分を責め、いつからか、ハルくんと二人で消えてしまいたい…とさえ思うようになりました。毎日「ハルくんごめんね、ごめんね。」と心の中で繰り返し、ハルくんの将来を不安に思い、悲しみに暮れるばかりでした。
それでもハルくんは可愛い。本当に可愛い。お家ではピーチ君と命名され、まんまる頬をハル姉ちゃんたちに食べられる毎日。入れ替わり立ち替わり、ハルくんの世話を焼く?オモチャにするお姉ちゃんたち。毎日泣いている私を、毎日笑顔にしてくれるハルくんとハル姉ちゃんたち。お姉ちゃんたちにとって、目の前にいるハルくんが彼女たちの可愛い普通の弟なのです。
ハルくんが将来、自分でできること、自分の意思でやりたい事が増えるように、一緒に前に進むことを考え始めました。
前に進みだし…
私は相談先もわからないまま、まず香美市福祉事務所に相談に行きました。そこで香美市の相談支援事業所を紹介してもらい、ハルくんのことを相談しました。
相談支援専門員さんは聞き取りをし、発達支援サービスを受けるため、市役所との連携、申請、事業所とのマッチングなど、ハルくんのためにたくさん力を貸してくださいました。そんなサポートを受け、香美市土佐山田町の児童発達支援の事業所へ一歳半から通い始めました。
初めは、行くたび泣いていたハルくん。しかし今では、ハルくん発語はほぼないですが、お友達と関わろうとしたり、時には先生に自分をアピールするなど、ハルくんなりのコミュニティーがそこにしっかりとできています。
2歳から保育園へ
二歳になると、ハルくんの発達の刺激になると思い、保育園に入園することにしました。
当初、歩き回るお友達の中に、まだゆっくりハイハイのハルくんを入れるのはとても心配でした。しかし保育園の先生に相談したところ、加配の先生を付けてくださることになり、安心して通うことができました。給食も口腔機能の成長も遅いため、食べられる大きさの刻み方や年齢が上がるにあたっての味付けなど、給食の先生や担当の先生との情報の共有で細やかに対応してくださいました。
保育園に通い始めて、ハルくんはゆっくりではありますが、彼なりに少しずつ成長しています。
ゆっくりハイハイが普通のハイハイになり、歩き回るお友達に刺激され、移動が高速ハイハイになりました。気になるものが高い位置にあると伸び上がるようになり、つま先に荷重できるようになったら、つかまり立ち、よじ登り、いつしか歩けるようにもなりました。
現在ハルくんは、療育手帳と身体障害者手帳両方を取得しています。
高知市にある発達支援事業所へ
高知市に言語に特化した発達支援の事業所があると聞き、すぐに相談支援専門員さんに相談。早速事業所に繋いでくださり、お話を聞き、三歳になった4月から通い始めました。
こちらでも、初めの頃はずっと泣いていました。しかし楽しい場所だとわかってくると、いつもの移動は抱っこなのに、車を降りると自分の足でいそいそと、教室へ向かうようになりました。今では先生を見つけると、全開の笑顔で抱きつきに行きます。未だ明確な発語は見られませんが、心から楽しんでいることがハルくんの表情で伝わってきます。ハルくんは理解できる言語が増え、最近はジェスチャーを利用して相手に伝えることに挑戦しています。
たくさんの方々による成長サポート
4歳になった今も明確な発語は2単語ほど、お友達と同じように走ったり、飛び跳ねたりはできません。ですが、加配の先生もハルくんの特性を把握してくださり、ハルくんが安全に活動できるようサポートしてくださっています。運動会も同じ年齢のお友達と同じことはできませんが、ハルくんが同じように楽しんでできることを模索してくだっさています。
香美市の中でも大きい規模の保育園ですが、入園当初から、園全体でハルくんを見守ってくれています。最近は帰りに「さようなら」はまだ言えないので、その代わりに先生やお友達にニコニコ笑顔でさようならのタッチをして帰ります。
そのハルくんも、2024年の春から年中さんに進級しました。
その少し前の2月にハルくんの担当者会議が開かれました。ハルくんをずっとサポートしてくださっている相談支援専門員さん。保育園の加配の先生や担任の先生方。香美市の児童発達支援の事業所の方。高知市の言語に特化した発達支援の事業所の方。香美市内外から総勢7名のハルくん担当の方々が、ハルくんの日々の様子を共有しました。そしてハルくんの成長を確信し、今後どうしていくか話し合いがされました。
教育分野では、手厚く、たくさんの方々がハルくんを支えてくださっています。
発達障害児のゆっくりな成長を見守っていく(移住スタッフ体験談)vol.2へ続く
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