NPO法人FUSEとNPO法人いなかみの連携企画「個人事業」をテーマにした連載記事、第2回をお届けいたします。

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香美市香北町の中谷集落。山のてっぺんにある小さな本屋さんが「うずまき舎」です。素朴で懐かしさ溢れる佇まいに惹かれて、遠くからはるばる訪ねてくるお客さんも多いのです。

神戸から高知の山里に移住した店主の村上千世さんに移住の経緯や今からのことを聞いてみました。

高知移住のきっかけは『種まきノート』

私は神戸出身で、高知に移住する前は大阪で会社員をしていました。その仕事を今後も続けるか迷っていた時期に早川ユミさんが書かれた『種まきノート』という本に出会いました。

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村上さんの人生を変えた、早川ユミさんの著書『種まきノート』。早川ユミさんはアジアの手紡ぎ、手織布、草木染め、泥染め布、山岳少数民族の布など、ありとあらゆるアジアの布を素材に手縫いで衣服を作る布作家。高知県香美市在住。

私は高校時代に工業高校でデザインの勉強をしていましたが、その頃習ったデザインには「造っては捨てて」の繰り返しで、ものの大量消費を奨励するシステムが根底にあるんですね。私はそれがとっても嫌だったので、デザインではなくクラフトに進み、短大では陶芸を勉強しました。ただ、そこを卒業したからといって、陶芸を仕事にできる訳ではありませんでした。

就職氷河期まっただなかという当時、学校に貼り出される求人の中に、陶芸にかかわる仕事はほとんどゼロ。会社員の家庭に育って、ものつくりで生きている人に出会ったこともない私は、その状況からどうやって陶芸を仕事にしていけばいいのかさっぱりわかりませんでした。

その後、販売や印刷物のデザインなど、数種類の仕事を点々として、最終的には大阪のメーカーに就職して開発の仕事をしていました。結局、高校の時に違和感を感じていたような仕事に長く携わることになったんです。

暮らしをまるごと全部変えたい

「高校を卒業して、短大に進んだ頃の夢は、「自然の豊かな田舎で、動物や植物にかこまれて、ものつくりをしつつ、自給的な暮らしがしたい」というものでしたが、それもいつのまにかあきらめて、その頃違和感を感じていたはずの、大量生産の商品を企画する仕事をしていたのです。

ところが、『種まきノート』の中で、著者の早川ユミさんが、私があきらめたのとそっくりな暮らしを実現していたのを見つけて、ふと我にかえったというか。それでどうしてもユミさんにお会いしてみたくて、出版記念のワークショップに参加してみました。

そこで思い切ってユミさんに「私もユミさんみたいな暮らしがしたいと思っていたんです」と話しかけると、ユミさんは、「それじゃぁすぐにはじめなきゃ!」とおっしゃいました。そんな風にまっすぐ言われてしまうと、「はい」としか答えようがなく、私はその後半年ほどで勤めていたいた会社をやめました。

ただ、その時は次の仕事も住む場所も、なにひとつ決まっていなかったのです。常識で考えると、相当無鉄砲な身の振り方ですよね。

オーガニックマーケットで知った高知人の気質

会社をやめてから、まずは住む所を探そうと、兵庫や京都の田舎を見てまわりましたが、移住先を決めかねていました。ユミさんのいる高知に心惹かれましたが、実家のある神戸から遠過ぎると思っていたのです。それが、あるとき高知オーガニックマーケットにお試し出店という制度を使って出店してみたことがきっかけで、いよいよ高知に移り住むことを決めました。

はじめてマーケットに出店した時の屋号は今と同じ「うずまき舎」でしたが、その時は本ではなく地下足袋を売っていました。地下足袋は柿渋で染めて更紗やバティックなどの布地を縫い付けたものです。元々は自分が履くために作っていたものでしたが、会社をやめて肩書きがないと家を探しにくかったので、自分の分以外にも沢山作って「地下足袋屋」を名乗ることにしました。めずらしいので、どこに行ってもすぐに覚えてもらえるのが良かったです。

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「うずまき舎謹製地下足袋」
ブーツのようにも履きこなせそうな地下足袋。

オーガニックマーケットのお客さんは、他の市のお客さんにくらべてとても好奇心が強くて、どんどん話しかけてきてくれました。他所では、地下足袋は面白いけど、ちょっと突飛過ぎると言われることも多かったのですが、マーケットでは気軽に試着する人が多くて、決して安いものではないのに気に入ったらスッと買って行ってくれる。

「どうしてここに来たの」「うちに遊びにおいでよ」「オキャクするからおいでよ」と、今会ったばかりの人なのに、気楽にそう言ってくれる。知らない土地なのに、疎外感を感じるどころか、はじめからとても居心地が良かったので、ここならひとりで移住しても大丈夫な気がしました。

高知の山暮らしの夢が叶うまで

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うずまき模様やかたつむりが好きなところからこの屋号をつけたという村上さん。山のてっぺんへ向かうあちこちに、うずまき舎の道案内があります。途中、本当にこの道でいいのか不安にならないよう、ちょっとずつ増やして行く予定だそうですよ。

高知に移住しようとして家を探しはじめた頃は、田舎の家を探していましたが、なかなか見つからず、神戸から通いで探すのは面倒なので、ひとまず、高知市内のアパートを借りて住むことにしました。

移住してしばらくはマーケットに出店しながら、家探しをしていましたが、翌年には早川ユミさんの仕事の手伝いをさせていただけることになり、あらためて香美市で家を探しはじめました。

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うずまき舎外観。余計な雑音は何も聞こえてきません。ただ、静かな山の空気に満たされていて、心がスーッと落ち着きます。店の中からお客さんたちの楽しげな話し声が聞こえてきます。

この家の家主さんは高知市内にお住まいでしたが、週に一回か二回、畑仕事をするためにこの場所に通ってこられていました。住んではいなくともひんぱんに出入りするので、人に貸すつもりもなかったそうですが、家主さんが元図書館司書で、以前にはこの家の一角で子ども文庫を運営されていたということをお聞きして、お借りできる目処もないままに、私は勝手にここだ!と思ったんです。

お借りした当時は、ここで本屋をやろうとは思ってもいなかったのですが、元々本が好きなので、本の気配のする場所がいいと思ったんですよね。 その後、ユミさんの力添えもあって、お家を借していただけるようになったのですが、当初家主さんは、夜は真っ暗になるし、本当にここに一人で住めるの?と心配してくださいました。

私は、念願の山暮らしがかなって本当にうれしかったので平気でしたけど。住みはじめてからは家主さんが、傷んでいた部分を少しずつ補修してくださって、引っ越した当初とくらべると、ずいぶん居心地が良くなりました。

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自分の仕事をつくる

仕事をしながらユミさんは「チヨちゃんが本当にしたいことは何?止められてもやめられないほど夢中になれることが、何かあるはずだよ」と何度も私に問いかけてくれましたが、その答えはなかなか見つかりませんでした。

自分は飽きっぽいナマケモノで、天職なんかないのかもしれないと思ったりもしましたが、職業、という枠を外してみたら、確かにやめられないことがひとつだけあって、それは本を読むことでした。 だからって、本を読むだけで暮らしていけるはずないですよね。

でもよくよく考えたら、読むこと以上に読みたい本を選んで、それを好きな順番にならべることが楽しいのだと気がつきました。自宅の本棚はもとより、人の本棚の本すら、順番を入れ替えたくなってしまうほどです。そんな訳で、さんざん廻り道をしつつ、ようやく本屋をやると決めたのが、高知に移住してから3年目、2013年の春頃でした。

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集落を知り楽しむ情報がたくさん貼られた掲示板。うずまき新聞も発行しています。

その時できる精一杯のことを

店をはじめるにあたって、まず直面したのはお金の問題でした。蓄えもとうのむかしに底をついていた上に、借金をするにしても、担保も信用もなくては、そもそも貸してもらえるかどうかもあやしいものでした。

地元の商工会の協力もあって、最低限の開業資金はお借りすることができたのですが、店としてのあれこれを整えるにはとても足らなかったので、店の改装も最低限、本も最初は思ったようには揃えられない、すごく不完全な状態でオープンしたんです。とにかく転がしながら少しずつ取り繕ってきました。

同じように本屋をやってみたいという人がいたら、止めませんが、会社員にくらべるとあまりにも不安定なので、心配性の人は不安でどうにかなってしまうかも。うずまき舎は今でも順風満帆という訳ではなく、常に波瀾万丈なので、それでもやりたい、という人にしかおすすめできません。

資金もないのに本屋をやるにあたって、本の仕入れが一番の問題ですが、うずまき舎では、古本の買い取りの他に、新しい本も主に直接取引で仕入れています。(取次と呼ばれる本の問屋と取引するには高額の保証金が必要なのです)そもそも、こんな辺鄙な場所で本屋をはじめました、という怪し気な電話に「はいはい」と本を卸してくれる出版社なんて、そんなに沢山ありません。

あっさり取引を断れるパターンが大半ですが、それでもこちらの言うことを信用して、本を出荷してくださった出版社さんには、やっぱりきちんと本を売って報いて行きたい。新しく直接取引で本を仕入れたいと思っているお店のためにも、着実に売って、支払いを重ねていかないといけないという責任があると感じています。

出版社以外にも、店の工事をしてくださった大工さんや土建屋さん、いつも応援してくださる家主さんや近所の方など、巻き込んでいる人が増えるにつれて、簡単に放り出したりはできなくなっていきます。責任重大なようですが、好きでやっていることでもあるので、それもひとつの原動力というか後押しになっていると言うこともできると思います。

そんなこんなで経済的にはギリギリですけれど、それでも心まで貧しくならなくて済んでいるのは、日常的に野菜や果物など、食べ物をいただく機会が多いこともあるかもしれません。

父親と電話で話をすると、二言目には「食えてるのか?」と聞いてきますが、これに対しては、「お腹はいつもいっぱいです」と答えています。なにはなくとも本と食べ物さえあったら、私は明日も頑張れる気がするのです。

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最初は棚がスカスカだったという本も、今では新品古本をとりまぜ1000冊以上が揃っています。

取材をしているうちに、お店の中にお客さんが増えて来ました。遠くから足を運んでくれるお客さんと話がはずみます。最後に、村上さんにこんな質問をしてみました。

「10年後もここで、本屋さんをしていると思いますか?」

先のことは全然わかりません。続けたいという思いはありますけど、ひょっとしたら全然別のことをしているかもしれない、それは本当にわからないのですよ。

だけど、本を前にした村上さんはとても穏やかで、幸せそうです。うずまき舎のホームページに、こんなことが書かれていました。

ものを作ることと、本を読むこと、食べることが大好き。ターシャ・テューダーのような暮らしがあこがれです。作ろうと思えばなんでも作れるつもりで、いつかは家だって作るつもり。

ものづくりと田舎暮らしを慈しむように発信し続ける村上さんのライフスタイル。仕事もかたつむりのように、ゆったりと前に進んでいる。そんな印象を受けた取材でした。

【関連リンク】
移住者の小さな起業を応援するプロジェクト「いなか・ラボ」スタート
http://inakami.net/works/inakalabo-11381.html

提供:NPO法人FUSE
企画運営:NPO法人いなかみ

この記事を書いた人

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【プロフィール】

渡辺瑠海 わたなべるみ
ライター、編集者、エッセイスト

放送業界を経て25歳で出版の世界へ。東京でライターとして雑誌企画、書籍制作に携わった後2003年に高知にUターン。書籍、冊子を手がける。著書『田舎暮らしはつらかった』『龍馬語がゆく〜日常をハイに生きる土佐弁』『イヌキー・私とトートバッグ犬の10年』高知新聞連載『はちきん修行記訪ねて候』など。

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