里山の小学校の教室がそのままお寺のご本堂になり観音様が祀られているという噂を聞き、さっそく真実を求めてやってきました。香北町五百蔵にある報恩寺です。

報恩寺1

境内入り口には存在感のあるイチョウの巨樹がそびえ立っていました。

いなかみ
こんにちは。こちらは昭和時代に使用されていた旧小学校の校舎なのですか?

ご住職
はい。そのようですね。しかし正確には小学校が設立するより前にお寺は建立されています。このお寺の長い歴史をさかのぼると、天文年間に高知市端応寺の末寺として柳沢に開山した曹洞宗のお寺です。棟礼、過去帳など古い記録は一切なく、創立の時代や盛衰などは不明ですが、弘化四(1847)年の調べによると、「僧侶二人」とあるので、このころは相当栄えていたと思われます。

明治四年に廃寺となり、長岡郡国府村永源寺の出張所として寺務を取扱う。 当時は東西二十間、南北十間、面積六畝二十歩の敷地をもっていたから、 かなりの建物が並んでいたであろうが、建物は東より切り売りとし、西方の一端のみを残して本尊を安置し、 所有の田畑は五百蔵・白川の檀家に配分。

そして明治7年、このお寺の一室を貸す形で五百蔵小学校が開校。明治24年には暁霞小学校と改称し校舎を改築。その後昭和36年に大宮小学校と学校統合されるまで続く。お寺としては昭和十五年十月には永源寺の支配を離れることとなった。

参考)香北町史(2006年)

いなかみ
そうですか。旧小学校がお寺になったわけではなく、旧お寺が小学校になったのですね!

報恩寺2
写真集 ふるさとと今・昔 香北町より
報恩寺3
こちらの校舎は現在公民館として使用。北側にお寺の境内。

ご住職
この本堂は学校の理科室だったと聞いています。

いなかみ
えーーーここが!

報恩寺4

ご住職
子供たちが天井にぞうきんやボールを当てた跡がありますよね(笑)

いなかみ
わーーー本当に(笑笑)子供たちはいつの時代も元気いっぱいですね!

報恩寺5
天井証拠写真(笑)

いなかみ
ところで、ご住職は移住してこのお寺を継いだと聞いていますが、どうして継ぐことになったのですか?一般的にお寺は世襲制だと聞いたことがあるのですが。

ご住職
私は高知県の西の方、漁業が盛んな港町にあるお寺の三男として生まれ育ちました。実父が僧侶だったのでお寺は身近なものだったんです。

私がここに移住する前、このお寺は5年ほど無住状態(住職不在)が続いたそうです。総代さんが住職を探しておられることを知り、私の父が兼務することになりました。その当時、私は大学を卒業し修行を終えたばかりでしたが、このことがきっかけで、家内と一緒にここへ移住して、お寺を継ぐことになりました。高知県内でも世襲されていないお寺は割と多いと思いますよ。

いなかみ
そうなんですね。まったく知りませんでした。歴史あるお寺の存続のためには、後継者が必要ですものね。あ、住職にはお嬢さんがいらっしゃると聞きましたが、お寺を継いで欲しいと思いますか?

ご住職
うーん。本人の意思があれば、継いで欲しいと思いますよ(笑)

いなかみ
では最後に、香美市への移住についてはどう思われますか?

ご住職
高知県は食べ物がとてもおいしいです。自然が豊かで、生活環境も良いですね。就労がうまくいけば、移住されるのは大賛成です!

 

報恩寺は雄大な時の流れを感じさせる地域に根ざしたお寺でした。今年中にご本堂を改築されるそうなので、これからまた新しい歴史が刻まれていきます。

コメントを残す

必須 ※お名前は公開されます。

<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>