「地域資源」という言葉が良く聞かれます。
地元の人にとっては当たり前でも、実はその地域ならではの特徴的な“もの”や“場所”で、よその人から見ると魅力的なもの、という意味合いで使われますが、この話は「そもそも忘れ去られていた」とても魅力的な所を表舞台に出した人たちの話です。
それはバブル景気に向かって経済成長まっただ中の昭和59〜60年(1984〜1985)頃のこと。町議をやっていた黒岩清水さんのところに「地元でも知られていないすごい滝がある。この滝を世に出してほしい」と山間に暮らす人が訪ねてきたそうです。
その方に連れられて山に入り、道なき道を進むと落差40mの紅葉に囲まれた滝が現れました。
これはなんとかしたいと、当初は知人3名で作業を開始、後に5名の仲間で鍬を持ち、何もなかった山に歩道をつけ、自分たちの力だけで丸太橋(現、赤い橋)をかけてゆきます。この地域を出ていった子どもたちが、盆正月に帰ってきたときに見せてやりたいという想いもあったと伝わっています。
道が出来たら、次は看板。大きな板を削り、書道が得意なメンバーが直筆で文字を描き、大工がその文字を削り、色を塗り、たくさんの看板を制作して国道沿いから要所要所に立てて行きました。
そうやって人が来るようになり、ご意見箱を設置したところ、当初「道が悪い」という意見が多く寄せられていたそうです。
滝の近くまで行くと5人衆が整備した道があるのですが、それまでの道が悪すぎる、というものでした。
黒岩町議はその意見書を持って当時の香北町長へ直談判に行ったのですが、あいにく面会できず、そのままの状態で町長の机の上に置いて帰ったところ、後日、町長の指示で、道の整備に行政が動き始めました。
「官が先か、民が先か」という話が時折聞かれます。ここの5人衆は、「できることはまず自分たちでやろう、官も見てくれるところは見てくれる、出来ないことは官に頼む」というスタンスで、これが町長の心を動かしたのかもしれません。
その後も5人衆は動きます。地道に駐車場やトイレ、休憩所の整備を、出来るところは自分たちで、出来ないところは行政に頼みと役割分担しながら完成させ、現在の姿になってきました。
この滝がすごいのは、急峻な山に挟まれたところにあるにもかかわらず、向かいの山の中腹までマイカーで上がることができることから、絶景をいろんな角度で手軽に一望できるところ。滝も道の途中に大小様々なものがあり、道路沿いにはいくつもの駐車スペースや休憩小屋が整備されています。
遠景ですが、これだけの滝を眺められる場所へ、手軽に車で上がれるところはあまり無いような気がします。もちろん、滝を間近に見ることができるところまで、大荒の滝は駐車場から約25分、岩屋の滝は約10分あれば徒歩で行くことができます。
実は滝の存在は忘れられていたのですが、地元に伝説が残っていました。それは二頭の龍が大竜巻に乗って舞い降りたというもので、龍のウロコの跡が滝口に残っています。
また、滝の入口にある大屋敷集落や御在所山には、源平合戦で敗れ隠棲したとの言い伝えがある安徳天皇や平教盛らの話も伝わっており、第2駐車場にはその思いをはせ、平家伝説と滝を詠んだ歌碑が建立されてます。
聖(ひじり)なる 落人汲みし 水音(みょうと)なり
大荒の滝に 吾も掬(く)まむや
※掬う(すくう=くむ)
~その昔、平家の落人も汲んだであろう聖なるこの水を 今は大荒の滝で我らも汲まん~
他にも、昔、木材や木炭を運搬する木馬を引く人たちの休憩所「木馬茶屋」や、そこに湧き出る名水、白や淡紅色の花をつけるダイモンジソウなど、それこそここは地域資源の宝庫です。
5人衆の方々は引退をされましたが、今はご子息の方々やその仲間が中心となり、5人衆の思いを引き継いで活動を行っておられます。
中には、今の時代だからこそ自分にできることは何だろうと考え、写真を撮り、インターネットで情報発信している方もいらっしゃいます。
人が来て、賑わってもらいたい。5人衆やそのご子息達の地域への想いを、応援したいと思うのです。
今年の大荒の滝もみじ祭りは、11月18日、23〜25日。
ぜひ、みなさまもお越しいただき、この絶景をご覧くださいませ。
NPOいなかみ