最近、私が住んでいる集落にある氏神様で夏の祈願祭がありました。田舎の、特に農業が中心の集落では、大抵の場合季節ごとにお祭りがあります。作物の生育と、住民の安全を祈願するための行事です。都会に住んでいた人が多い移住者にとって、お祭りに参加することに、とまどいを感じたり、負担に思うことも少なくないかもしれません。また、お祭りの多くは神道や仏教などの宗教儀式であることから、地元のお祭りには参加しない、という事例もちらほら耳にします。
それでもお祭りを続ける意味
これは、私個人の見解なのですが、田舎のお祭りは宗教儀式というよりも、住人との交流と、かつてこの集落を開いた先人への感謝の日にあたると思っています。地元のおばあさんは、祭りは楽しみじゃき、とおっしゃいます。今のように気軽に集落の外に遊びに行くこともできず、日々の労働もずっときびしかった頃,祭りの日だけはごちそうをお腹いっぱい食べて、仕事を休むことも許されていたのですから、みんなが楽しみにしていたのもよくわかります。
そんなお祭りも、山の住人が減って、ずいぶん簡略化されてきました。仕事も忙しいし、経済的にも負担になるから、祭りなんかないほうがいい、という人の気持ちもわからなくもないのですが、頭数が減って、準備をするのが大変になってきても、来年からやめる、となると何か切なく、何より申し訳ないような気がするものです。普段は通りすがりに挨拶をする程度の住民の方とお祭りのごちそうをいただきながら、お祭りの起源や集落の昔話を聞いたり、料理の作り方を教わったりと、この場所で暮らして行く上で、貴重な情報収集の場にもなっています。
お祭りへの参加は強制ではないので、参加しないと言えば、それで通すこともできますが、それはかなり勿体ない。それにこの場所が気に入って、そこに住み続けたいと願うなら、神様と土地を開いた先人たちにどうぞよろしくという気持ちがあると、私はなんとなく安心できるです。
土地の神様と仲良くすること
どうしてお祭りを続けるのか、簡単に説明するのは難しいのですが、宮沢賢治の『狼森と笊森、盗森』というお話を読むと、ジワジワと何かがわかる気がします。この作品は青空文庫でも読めますので、興味のある方は是非ご一読下さい。
【外部リンク】
青空文庫 宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』→http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1926_17904.html