高知県香美市に関する様々な情報を発信している「
いなかみのページを見ている人の多くは、田舎暮らしをしたい人か、既にはじめているという人だと思います。このブログの中でも閲覧数の多い記事に「田舎の人はなぜ草刈りや地域行事への参加を迫るのか?」(2013/12/01)という記事がありました。この記事が多くの人に読まれているということは、田舎における草刈り作業というものが、いかに重要視され、また田舎に住む人の悩みの種であることがわかります。
この記事を書いている私も、5年ほど前に世帯数11軒という、香美市香北町の山奥に引っ越してきました。あたたかくなると、自宅周辺の草刈り作業がはじまり、合同の草刈やお宮の掃除なども季節ごとに実施されています。
移住者と地元の人 感覚の違いはどこにある?
街の一軒家の感覚でいえば、自分の家の庭の草がぼうぼうに伸びていたところで、多少見苦しいと思われることがあっても、それで大きなトラブルにつながることは稀です。それと同じ感覚で田舎の家や畑を購入した人が、草刈りに手がまわらなかったとしても、たいしたことではない、と思うのは当然かもしれません。ところが田舎では、所有したり借りたりしている土地が草もつれになっていると、とても嫌がられます。はじめは理不尽と思われるかもしれませんが、暮らしていると、その理由がだんだんわかってきます。
田畑を荒らすのは「申し訳ない」
たとえば、この集落で少ない住民のほとんどが田や畑を耕しています。高齢の住民も多く、農作業が負担になってきているにもかかわらず、とても丁寧に管理されている田畑が多くあります。ほとんどの人が自給用ですが、それ以外の田畑から得られる収入は、労力にはとても見合わないと思われる額でしかありません。
そんな状況でも地元の人は、田畑を荒らすのは「申し訳ない」とおっしゃいます。特に70代、80代の方というのは、この田畑が、先人の途方もない労力で作られ、また維持されてきたものである、ということを実際に見て、彼ら自身もそれを担って来たということがあります。このことは、外から入って来てすぐにわかることでもないので、意識に違いがあるのは当然といえば当然です。
田役に参加する
私の住んでいる集落では、草刈の他に、田役という作業が年に2回あります。田役とは主に、田畑で利用する水路の維持管理作業です。水源地までの水路のぼとんどは塩ビの太いパイプが埋め込んであるので、そのパイプに破損や詰まりがないか見てまわり、途中、パイプがない溝やマスに溜った泥や枝葉をすくい上げたりする作業を、みんなで分担してやっています。
この塩ビのパイプが埋め込まれる以前の水路は、土を掘って側面に泥を塗り付けただけの溝でした。このため昔は、田植えの前に、女性も子どもも総出で一日かそれ以上かけて水路の補修にあたったというのです。
今、少ない人数でも半日で田役の作業が終了している背景には、住人が減りはじめた時期に、これも大変な労力とさらにお金をかけけて、パイプの設営をしていたからなのですが、移住して来たばかりの頃は、そんなことはまったく知りもしませんでした。
その不機嫌の背景にあるもの
時々、田畑を借りていて、水をまわしてもらえなかったとか、近隣の住民に冷たくされた、という話を聞くと、このことを思い出します。私も最初は、「あんたは田んぼもやっとられないから、田役は出なくてもよろしい」と言われて、移住した翌年の田役に参加しませんでした。でもなんとなく違和感があって、翌年からはお手伝いすることにしました。私はここが仕事場で日中もこの集落の中にいるので、そういうことにも気がつきやすいのですが、例えば田畑だけを借りていたり、日中は留守が多いという生活スタイルでは、なかなか気がつかないと思いますし、出会うタイミングが少なければ、周りの人もそのことを伝えにくいのです。
それぞれに想いはあっても
不満や必要なことは言ってくれればいいのに、田舎の人は何も言ってくれない、という声も聞きますが、やはり電話などでは伝えにくいこともあります。件の田役の手伝いなどは、そこに至る経緯が複雑ですし、田をしていない人にはとくに頼みにくいことだと思います。
里山は「自然」ではない
先の投稿(「田舎の人はなぜ草刈りや地域行事への参加を迫るのか?」)でも同じようなことを書かれていましたが、もし仮に、この場所が樹木のうっそうとした原生林だったなら、私はここに住みたいとは思わなかったはずです。私たちが「住みやすそうだ」とか「居心地が良さそうだ」と思える場所というのは、過去に誰かが住みやすいように整えた場所であることがほとんどです。その労力だけを計算したならば、都会のタワーマンションと変わらないどころか、重機や運搬のための機械もなかった時代を考えたなら、それ以上の価値があるものであると私は思います。
できることがあるしあわせ
私はまだまだ草刈機の操作も下手で体力もありませんが、近所の方は皆私より先輩で、作業に参加するととてもよろこんでくださいます。「あんたが来てくれてよかったよ」と言ってくださる人がいると、ここに居ていいんだと思えて安心します。自分の居場所があるということは、そこに自分の役割がある、ということで、それは本来お金では買えないものだと思うのです。ですから、そこに入って行く上で、お手伝いできる、担える役割がある、ということは新参者には実にありがたいことだったりもするのです。
香北町在住 村上(山の上の本屋・うずまき舎店主)