高知県香美市の中心を流れる一級河川物部川。

標高1,770mの白髪山を水源とし、大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐまでの総延長は71km。この高さを、この距離で流れるというのは実はすごいことで、資料によると河床勾配は、上流部=約1/40、中流部=約1/145、下流部=約1/280と書かれており、要は上流部は平均40mで1m下がるという急流なのです。

こうなると、いろんなことが起こってきます。

永瀬ダム正面

物部川は戦前まで典型的な暴れ川でした。

上流はニュースにもよく登場する多雨地帯で、河床勾配が急なことも加わって台風性豪雨が来ればたちまち洪水となりました。一方で季節的降雨は不規則であり、渇水時には古来より農民の水争いを起こしてきました。このため地域の住民達は早くから物部川の洪水防御とかんがい用水の確保を熱望しており、大正時代から機運は盛り上がったものの、戦争のために実現に至りませんでした。

そして戦後の昭和21年(1946年)「物部川ダム期成同盟会」が結成。物部川ダム建設に猛運動を重ねた結果、河水統制事業が国に認められダム建設が動き始めました。
昭和25年(1950年)からは国(建設省)の公共事業費による河川総合開発事業と改称され、「治水」、「かんがい」、「発電」の多目的ダムとして物部川3ダム構想がまとまり、永瀬・吉野・杉田の各ダムは9年の歳月をかけて次々に完成していきました。

物部川ダムは高知県における国土総合開発法に基づく河川総合開発事業の第1号です。

永瀬ダム堰堤

その物部川最初で最大規模の永瀬ダム。

昭和25年(1950年)9月建設着工以来5年8ヶ月の歳月と約40億円の工費を費やし、昭和31年(1956年)5月に完成しています。
その背景には、柳瀬(やないせ)地区、水通(みどうし)地区などが水没地域となり、一般家屋だけでも221戸が故郷から出て行くことになりました。また、発電所工事などを含めると合計25名がダム建設に関連し亡くなっています。

そして、建設着工から完成に至る5年8ヶ月の間は、物部には大勢の人々が入り込み、商店は異常なほどに活況でしたが、工事完了後は日を追って元の静けさに戻り、それに加えて水没地域の住民の多くは村外に転出。また、職を求めて村を去る方も多くなり、その対策に苦慮するようになりました。

一方で、永瀬ダムでできた広大な人造湖を利用して大栃独特の催しをしてはと考え、工事完成の昭和31年(1956年)より商工祭が始まります。その後、村の行事として取り上げられるようになり、これが現在の香美市三大祭りの1つ「奥物部湖湖水祭」です。

湖水祭り

尊い命を犠牲に永瀬ダム建設に務められた方々の慰霊と五穀豊穣、ダムの安泰及び地域振興を祈願するとともに、住民の親睦と交流人口拡大による地域の活性化を図る「奥物部湖湖水祭」。

こちらは、近年「お山のディスコ」として特に有名です。グラウンドにやぐらが組まれ、懐かしい洋楽や大栃音頭に合わせて大人も子どもも輪になって踊ります。中でも「はっさん」といわれる盆踊りは伝統的な踊りと70年代からのディスコダンスが組み合わされた、とてもユニークで面白いもの。
そして、奥物部湖に浮かぶ5,000個の灯ろうと夜空に打ち上げられた花火の美しさは見物客を魅了します。

是非、この楽しい祭りを体験ください。

湖水祭り花火

日時:平成30年8月14日(火)18:00〜(荒天時は2日順延)
場所:大栃柳沢グランド特設会場

なお、会場周辺は駐車場が少ないため、無料送迎バスの利用をお勧めいたします。
詳しくは、香美市ホームページをご覧ください。

 

参考文献:
中央東土木事務所永瀬ダム管理事務所 永瀬ダム建設の歴史
香美市役所 奥物部湖水祭り

NPOいなかみ

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