高知工科大学と隣接している高知県立鏡野公園は1978年(昭和53年)に開園。四国では5ヶ所しかない「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

ここを地元の人は鏡野公園とは言わず「種馬所(しゅばしょ)」と呼びます。その名前の由来をご案内したいと思います。

鏡野公園4

人馬一体という言葉があるぐらい、はるか昔から人と馬は仲良く生きてきました。20世紀に入った頃から軍馬、農耕馬、競走馬として、その傾向は強くなっていきます。

戦前の馬と香美市にまつわる出来事

大正元年

馬産地であった高知県に四国で唯一、主に軍馬改良を目的に馬政局直轄の国立高知種馬所が設置

当時、高知県の馬の生産頭数は他の四国3県を合わせた数よりも多かったそうです。

大正10年

馬籍法の公布
国有馬を除く県内全馬について馬籍が作成される

昭和2年

全国14ヶ所の地方競馬の売り上げランク
第1位 羽田競馬場(東京)、第2位 桟橋競馬(高知)に続き、第4位 がなんと山田競馬(現香美市土佐山田町宝町付近)

昭和6年

満州事変勃発により第2次馬政計画が樹立

昭和10年

今の鏡野公園の場所に高知種馬所を移設し、四国種馬所として開設
高品種の馬を創り出す研究施設となる

同時期、山田競馬場は移転し、その後は四国種馬所の馬場を利用した草競馬が開催された

昭和12年

日中戦争突入

昭和13年

馬の生産率増進専任技術員ならびに軍用候補馬鍛錬馴致施設が設置

昭和14年

種馬統制法・軍馬資源保護法の2大法案の発布

昭和15年

臨時馬の輸移出の制限令

昭和16年

種馬登録制度の発足、馬の最高販売価格の指定、馬事団体令の公布など相次いで戦時統制の強化が行われ、同年末遂に太平洋戦争に突入

第2次世界大戦の終戦とともに軍馬としての需要は失われ、産業用馬として一般農民のものとなり、同時に食糧増産に対する国家の緊急要請のもと牛と共に動力源の立役者として推移。しかしながら時代は移り、高度経済成長の下、道路の整備とモータリゼーションと共に馬力は消滅。やがて機械化農業の進展と共に農耕馬は無用の長物となっていきます。

その時代の中で、四国種馬所は昭和21年に高知種畜牧場となり、馬以外にも牛や山羊などの育種、繁殖研究が行われ、昭和45年にその役目を終わっております。

鏡野公園2

高知の馬と言えば、ハルウララ。負けても負けても頑張るその姿は感動ものでした。

年頭の高知新聞には、土佐藩初代藩主山内一豊が始めたと言われる「お乗り初め」の特集もありました。(高知新聞土佐古地図ナビ第9話 新春の高知城下を馬駆ける

高知県民は昔から馬が好きだったんですね。

鏡野公園1

今年の開花予想は3月21日。

鏡野公園はソメイヨシノやヤエザクラなど多種の桜を楽しむことができ、全長約200mの桜のトンネルは人気スポットとなっています。

春のお出かけに、往年の馬の姿を想像しながら桜を愛でるひととき、いかがでしょうか。

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