ビジョンのない地域で民主主義を発動するとうまくいかない可能性が高い、という話を書いた昨年の記事が再度アクセスを集めています。こうして昔の記事をまた見てもらえるのは嬉しいですね。 それに合わせて今日は、地域と接する際に感じていたもう一つのキーワード「責任」についてを書いてみようと思います。

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よそ者イメージ写真
(※写真はイメージです)

決定を遠ざける「責任」の存在

この地域が将来どうなってほしいか、それを思い描くことは簡単ですが、決定してそれに向かって進んでいく段階になると、途端に「もっと議論しましょう」と話がうやむやになっていきます。その決められない背景には「責任」という言葉が見え隠れしているように感じています。

ただここでの責任は「うまく行かなかったらどうするんだ!?問題があったらどうするんだ!?」といった責任よりは「うまく行かなかったら、その後地域で暮らしにくくなる」といった、責任に伴うリスクなのかもしれません。特に決定が大きければ大きいほどです。

会社であれば社長が責任をとり、うまくいかなければ退任するという道がありますが、生活の場である地域はそうもいきません。ビジョンが決まり、地域でお金を募って事業を始めようとなり、もしそれが失敗してしまったら・・・。

「よそ者」が責任を担おう!

じゃあ結局だれが責任をとるのか。その答えはいろいろですが、一番簡単なのは「よそ者」がとることだと思います。もちろん、本当の責任者は理解を示してくれる地域住民であるべきですが、結果に対する責任は率先してよそ者が担う。

よそ者なら失敗してもダメージは少ないですし、地域側も責任をよそ者に押しつけることができる(言葉わるくてスミマセン笑)。そして本当に嫌になったら出て行ってやりなおすこともできる。だってよそ者だもん。

そんな外から来た責任をとれる存在の筆頭が「地域おこし協力隊員」ではないでしょうか。新しいことにチャレンジしたい意欲的な移住者も当てはまりそうです。昔からよく言われる「よそ者・若者・バカ者」ですね。

がんばる人がいれば地域は応援してくれる

以上、よそ者よそ者と失礼な言葉を並べましたが、そんな風にリスクをとってがんばる人がいる地域は、遅かれ早かれきっと元気になっていきます。そして本当は、地域住民だろうとよそ者だろうと、目標に向けて一生懸命やっている人がいればみんな応援してくれます。結果、失敗したとしてもです。

と、そんなことを自分に言い聞かせながら、今日も地域を訪ねていく「よそ者」の私なのでした 笑

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