2018/5/18にご紹介した水争い。それは旱魃(かんばつ)が原因でしたが、香美市にはその反対に大雨による災害もたくさんの記録が残っています。

ここで少し質問です。降水量○○㎜と言われたら、どんな状況か想像できるでしょうか?

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気象庁のホームページには、次のように記載されています。

  • 降水量は、降った雨がどこにも流れ去らずにそのまま溜まった場合の水の深さで、mm(ミリメートル)で表しています。
    例えば、「1時間で100ミリの降水量」は降った雨がそのまま溜まった場合、1時間で雨が水深10cmとなるということです。
    1平方メートルに100ミリの雨が降った場合、水の量は100リットル(重さにして約100kg)になります。

これだけではピンときませんよね。ざっくり言うと、こんな感じです。

  • 降水量2mm=完全な雨であり、近くに買い物に行こうとしても、傘を刺さなければいけない雨。
  • 降水量5mm=かなり嫌になるくらい強い雨。
  • 降水量10mm=これ以上は要注意。スコールや局地的な雨、台風レベルで、隣の家にも行くことも躊躇しそうな感じの雨。
  • 降水量20㎜を超えると、大雨注意報・警報が発令され始める雨。

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特に多く記録に残っているのは、土佐山田町西部の繁藤や新改地区。この地区にある「ほっと平山」のブログには72時間積算雨量が1200㎜というものもありました。

平山には、今でも大正14年災害の碑が残っています。その災害記録によると…

  • 大正14年(1925)9月14日午後5時頃から9時頃までの集中豪雨による洪水で、佐岡、新改、繁藤に大きな被害が出た。
    佐岡地区では県道山田大栃線に架けられた全部の橋が流失、谷川沿いの田畑、堤防、用水路の決壊・流失は数知れず。
    平山地区では東川の被害が最も大きく、家屋流失数軒などの被害が出た。

他にも、語るも辛い災害がありました。四国災害アーカイブスより大きな災害をいくつかご紹介いたします。

  • 昭和29年(1954)9月、台風12号は瞬間最大風速35m、降雨量600ミリに達し、永瀬ダム以東では橋が流失した。大栃~別府間32kmの森林軌道と物資輸送道路も各所で崩壊寸断された。
    吉野ダム下流域では、美良布町では水田0.2haが流失したほか、暁霞村では田畑0.5haが流失、埋没した。この他、田畑への浸水による農作物被害は甚大で、暁霞村では製材工場が甚大な被害を受けた。
  • 昭和45年(1970)8月21日、佐賀町に上陸した台風10号は、土佐山田町では油石で家屋の下敷きで1名死亡、家屋全壊19戸、半壊32戸、一部損壊4,020戸、その他学校被害、土木被害、農林被害などの被害が出た。
    特に農林被害は甚大で、ハウスが倒れ、八王子の桜、老松、種畜牧場の桜等もこの時倒れた。
  • 昭和47年(1972)7月5日、前日から降り続いた雨は天坪で741ミリ、槙山で341ミリ、別府で598ミリ、和久保で459ミリとなり、繁藤では61人の死者を出し、物部川でも香我美橋の橋脚が陥没して通行不能となり、山田堰も明治25年以来の被害を受けた。(広報かみ 特集:繁藤災害
  • 平成10年(1998)9月24日~25日の豪雨により、県中央部を中心に各地で河川の氾濫による浸水被害や土砂災害が多発した。土佐山田町の上改田川地域では、25日未明に土石流が発生し、下流部では浸水被害を受けた。
    また、大石ヶ谷川地域では、25日未明に土石流が発生し、家屋2棟を直撃して全壊させた。周辺住民は自主避難していたため、人的被害を免れた。
    さらに、引地地区では、25日未明に崩壊性の地すべりが発生し、家屋1戸を全壊させ、引地川に多量の土砂が流入した。

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近年は災害に対する事前の対策が講じられるようになってきましたが、一番大事なのは住民の意識と準備です。

このたび、香美市では「総合防災マップ」を作成し、全戸へ配布しております。届いていない方には、市役所または支所でお渡ししております。

これから雨が増える季節。是非この冊子をご覧いただき、今から各自で対策をお願いいたします。

総合防災マップ

NPOいなかみ

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