香美市香北町美良布に鎮座する「大川上美良布神社」。

地元の方は親しみを込めて「川上様」と言いますが、古い戦国時代の棟札には「大河上宮」「川上大明神」などと書かれており、昔から地名の美良布を略して呼ばれていたようです。

ここは古来、香我美郡(かがみこおり)の総鎮守でありました。
平成の大合併まであった香美郡、今で言う香美市と香南市の全土を守っていたお社です。

往年の土佐を治めていた武将、大中臣(おおなかとみ)秋家(山田氏)、長宗我部氏、山内氏などの崇敬も極めて厚かったことが、棟札等から伺えます。

 

全景

御祭神

御祭神は大田田根子命(おおたたねこのみこと)。
この神様は奈良県桜井市にある三輪山の神である大物主命(おおものぬしのみこと)の子孫。

伝説によると、第十代崇神(すじん)天皇の御代に疫病が流行。
国中の人々が苦しんだ際に天皇が神々に祈ったところ、大物主命が現れ「吾前を曽孫の大田田根子に祀らしめよ。さすれば疫病は自ら治り、萬民は安ずるであろう。」とのお告げがあり、直ちに河内の国(大阪府南部)にいた太田田根子に来てもらって祀ったところ、疫病は治まり天下が安らかになったという話が残っています。

なので、ご利益は健康祈願、病気平癒、家内安全。

さらに、合祭神として大物主命を始め七神を祀っており、商売繁盛、交通安全、子宝安産祈願、縁結びなど、諸願成就のありがたいお社です。

御神木

由緒

伝承では約1500年前の昔、雄略天皇の時代の創建と伝えられていますが、残念ながら確かな資料は残っていません。

ただ、続日本記に承和8年(841)官社に列せられたという記録があり、1180年以上の昔より祭られていたことは事実であるようです。

彫刻1

社格

延喜式内小社と記されております。
ナンノコッチャとお思いの方もいらっしゃると思います。(^^;

平安時代中期、醍醐天皇の命により法律の施行細則が定めらました。
これは全50巻になっていてこの冊子を『延喜式』と言います。

この9巻と10巻に神名帳(じんみょうちょう 通称:延喜式神名帳)というものがあり、当時「官社」(国指定の神社)に指定した全国の2861社(高知県は21社)が一覧表になっています。

細かくはこの中でも4つに別れており、川上様は国幣小社として記載されています。
それだけ古くから認められていた神社なのです。

ただ、神社の格式自体が明治維新や終戦後に連合軍により発せられた「神道司令」によって行政上は失われており、現在では神社本庁に属する「宗教法人 大川上美良布神社」となっています。

香北町青年団

主たる祭祀

1月1日の歳旦祭に始まり、大きなお祭りとしては2月11日建国祭、2月22日祈年祭、7月27〜28日夏祭り、11月2〜3日例大祭、11月23日新嘗祭等があり、毎月1日の月並祭や6月30日の輪抜け様があります。

特に秋の例大祭は、かつては土佐の三大祭と称せられていました。

そこで行われる古式神幸祭では、きらびやかな馬具をつけた馬、○○号と染め抜いた幕を背に負った種牡牛など、全盛期には数十頭に近い馬・牛が近郷近在よりお供に加わりました。
還幸の後にはその馬に御神酒を飲ませ、興奮した馬が御社殿の廻りを全力疾走し、その勇壮な姿は観衆のスリルと興奮を呼んだとの記録があります。
これは大祭の華でもありましたが、時代とともに無くなってしまいました。

ただ、力と技を要する大鳥毛の練り込みは現在でも香北町青年団のメンバーを中心にしっかりと受け継がれており、例年大きな歓声が上がっております。

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社宝

なんとここには、大小2個の銅鐸があります。
学校の教科書でしか見たことが無い方が多いのではないでしょうか。
国の重要美術品にも指定されています。

銅鉾も記録にはあるのですが、昭和の中期以降に行方不明になっているそうで、これは残念です。

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 社殿

この社殿は必見!

現在の社殿は、慶応元年(1865)4月に起工、明治2年(1869)9月26日に竣工されたもの。

土佐の左甚五郎と言われた島崎安孝を初め、御免の坂出定之助、片地の原卯平、東川の別役杢三郎等が棟梁として腕を競い、県下でも類を見ない、善美な社殿と言われています。

 

特に彫刻がすばらしい

拝殿正面の唐破風には懸魚(けぎょ)の鴟尾(しび)。その奥にある本殿正面の向拝の上には見事な透かし彫りが施されています。

中央は島村の作「応神天皇を抱いた武内宿禰」、右側に坂出の作「神功皇后」、左側に別役の作「三韓より貢物を奉る使者の様子」が刻まれています。

他にも、次のとおり見事な工芸が多数。

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本殿腰欄間

北側:中国北宋の時代の学者であり政治家として有名な司馬温公が少年の頃、甕(かめ)から落ちて溺れている友を、甕を打ち割って救った様。

東側:虎と竹、及び、虎の波渡り。

南側:浦島太郎の図。

此の三面の図と拝殿正面の懸魚はすべて水に縁のある図が掘られており、火難防止の呪術的意味が考えられます。

彫刻2

本殿脇障子

南側:源三位頼政が宮中で鵺(ぬえ)を射止め、近衛天皇より賜った侍女のあやめを連れ、家来の猪の早太に仕留めた鵺を背負わせ引き上げる図。

北側:平経盛が見事に鹿を射止めた図。

これは共に島村安孝の作と言われています。

通夜殿

通夜殿

記録では延享4年(1747)以来、秋の大祭には狂言が行われ、大正初期迄続いたと記されています。

いわゆる地狂言で「韮生の太布狂言」と呼ばれていました。
太布とは藤葛の繊維を地機(じばた)と言われる装置で織った布のことです。

それから100年近く狂言は途絶えていたのですが、昨年6月、地域の方の熱意と狂言師茂山逸平さんのご好意で奉納公演が実現
茂山さんは「神社で公演するのが狂言のあるべき姿」と言われ、演目だけではなく、狂言の成り立ちや昔の舞台環境のお話いただき、往年の昔を彷彿とさせる時を楽しむことができました。

この内部には直径3.7メートルの手動の廻り舞台があり、地域の方が修復して公演当日も使われておりました。
香川県琴平の金丸座にも同じものがあり全国的に有名ですが、ここにも稼働するものが現存することに、香美市民としては感慨深いものがあります。

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天井絵

平成27年(2015)社務所建て替えの際、31人の漫画家の先生によって描かれた青竜、白虎、朱雀、玄武の四神や干支の作品が天井絵として奉納されています。

これは「地域内外から神社に人が集まってほしい」という神社側の熱い思いを、香北町在住の漫画家、おかもとあつし先生が日本漫画家協会にお伝えしたところ、同協会所属の先生方が「やなせたかし先生の故郷のために」と一肌脱いでくださることになったそうです。

作品が描かれたのは70センチ四方の木の板。青竜、白虎、朱雀、玄武の四神や干支のイラストが、それぞれの先生方の作風で描かれています。

 

◇四神◇

青竜 萩尾望都先生 さかもと清敏先生

朱雀 中山星香先生 種田英幸先生

白虎 やの功先生 黒榮ゆい先生

玄武 ちばてつや先生 おかもとあつし先生

 

◇干支◇

子 里中満智子先生 犬木加奈子先生

丑 牧野圭一先生 多田ヒロシ先生

寅 矢野徳先生

卯 森田拳次先生 ビッグ錠先生

辰 クミタ・リュウ先生 西原理恵子先生

巳 花村えい子先生 香取正樹先生

午 うえやまとち先生 倉田よしみ先生

未 なかはらかぜ先生 とやまみーや先生

申 ヒサクニヒコ先生 MA・CO先生

酉 たなべたい先生 小河原智子先生

戌 ウノ・カマキリ先生 西田淑子先生

亥 植田まさし先生 山根青鬼先生

お守り図柄

 お守り

ここにはかわいい十二支のイラストをあしらったお守りがあります。
これは漫画「アンパンマン」の原作者、故やなせたかしさんが最晩年にデザインしたもの。

当初、宮司の甲藤英明さんがやなせさんに依頼した時には視力低下のためイラスト作成の約束はできないとの返事で諦めていたそうですが、翌年1月にこのイラストが同神社近くの香美市立やなせたかし記念館に送られてきました。

イラストには手紙が添えられ、「オミクジ、ハンカチ等に利用できると思います。やなせたかしの幸運十二支です」などとつづられていたそうです。

 

今年の干支は「子」(ねずみ)。

令和2年、2020年も皆様が良い年でありますよう、初詣にお参りいただき、やなせさんのお守りをご覧くださいませ。

あんぱんまん絵馬

<文化財登録>

国指定登録有形文化財

神庫(建造物)

 

県指定文化財

拝殿、幣殿、本殿(建造物)

袈裟襷文銅鐸(考古資料)

御神幸(無形民俗)

 

市指定文化財

通夜殿廻り舞台(建造物)

 

<参考資料>

大川上美良布神社の概要(あらまし) 作:竹内市郎

まんが王国・土佐 ホームページ

 

<監修>

大川上美良布神社 宮司 甲藤英明

 


NPOいなかみ

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