2022年3月発行の「いなかみだより№42」をお届けいたします。
香美市の移住者インタビュー10
『 おすそわけ食堂 まど 』陶山 智美さん
アンパンマンミュージアムから徒歩3分、香美市香北町韮生野に移転オープンしてまもなく一年となる『まど』さんにて、店主の陶山智美さんに食堂開業へいたった学びや想い、そしてお店についてお聞きしました。
陶山 智美(すやま ちみ)さん 1998年鳥取県生まれ。自然豊かな農村地帯で育つ。学校では本好きでおとなしい人と見られていたが、帰宅後は姉弟と野山をかけまわる活発な子どもだった。鳥取県内の農業高校を経て、高知大学農林海洋科学部に進学。大学4回生の時に土佐山田町神母ノ木に『おすそわけ食堂 まど』を開業。大学卒業後すぐに、食堂を香北町へ移転オープン。23歳。
「農業」を志したきっかけ
智美さんは、中学生の時に2つの大きな関心事があった。
「ひとつは、社会科の授業で農業従事者が減少しているという一般論を知ったことがきっかけです。身近なこととしても、実際に地元は田舎で高齢化が進行し、田んぼをやる人がもういない、山を管理する人がいない、という話をよく聞いていました。自分が好きな環境を守っていくにはどうしたらいいのか、というテーマを考えるようになりました。また、それとは別に、世界全体の問題として食糧問題や貧困などにも関心があって、アフリカで食べることができず亡くなってしまう子どもたちの映像を目にして、なんとかできないかな、という思いがありました。調べるうちに、青年海外協力隊がアフリカ地域に農業支援に行っているのを知って、海外でやるにしろ、国内で活動するにしても、キーワードは‘農業’だなと思い、農業高校への進学を決めました。」
兼業農家である祖母が自給用に続けていた田畑を手伝うこともあったが、智美さんの実家は非農家だった。
「高校を卒業してすぐ農業というのは何か足りない気がして、農業経営とか、農業と社会との関わり、地域活性化などをもう少し深く学びたい」と、大学に進学し引き続き農業を学ぶことにする。
高知大学へ進学、そして多様な場所での学び
大学の研究室は、農業経営学研究室に所属。農林海洋科学部の多くが理数系分野を占める中、智美さんは、地域づくりや農家の所得向上など、社会学系の学びに取り組んだ。一方で、智美さんにとっては学外での出会いを通じた学びが大きかったという。
「農家になりたいと思っていたので、いろんな農家さんや農業法人で、アルバイトやインターンシップに参加する機会があり、それぞれの経営や農業のやり方を勉強していたのですが、その中でとても気になったことが、野菜が大量に廃棄されていたことでした。ある農家さんでは、ナスの袋詰作業を一日中した翌日に、前日一生懸命詰めたナスが売れ残って戻ってきたことがあり、その日最初の作業はナスの袋を破って廃棄することでした。“全部捨てちゃうんだ”と、すごくもったいないと感じ、自分が将来もし農家になったとして、新たにゴミを増やす人間になるかもしれない… ただ単に農家になるのではなく、また別の方法を考えないといけない」という新たな問題意識が芽生えた。
同じ頃、智美さんは「食生活」も意識し始めていた。智美さん自身が忙しさや、時には金銭的な理由で食事を抜くことがあり精神的にも疲れを感じることがあったため、食生活を見直す。日々、丁寧に食事をすることで心身ともに復活した経験を通じ、「食事が大事」と実感していた。さらに、周囲の友人達も食生活のバランスを崩している人が多く、「食生活」を課題として受け止めるようになった。
大学2回生のときには、食の生産者と消費者とで、ひとつの食卓を囲むイベントを企画。話が弾み、みんなで食卓を囲むことの楽しさや、きちんと食事をとることの大切さをあらためて感じたという。智美さんは“イベント的なのでなくて、毎日、日常にこういう場が自然とあったら素敵だよな…”と思い、食堂の存在に着目するようになった。
「子ども食堂さんが自分のイメージに近かったので訪問させてもらう中で、廃棄寸前の食材の寄付を受け取り料理に使っているのをみて、自分がモヤモヤしていた農業現場での廃棄野菜という課題も一緒に解決できるし、ちょっとでもみなさんの食生活の手助けにもなるかな~という思いもあって、食堂という場に希望を感じました。」
食堂の開業と学生生活
智美さんは、3回生も終盤となり進路選択の時期を迎える。
「もともとは農家になるつもりで進路を決めてきたけれど、農家は違うなと思うようになっていました。進路を選択する上で、休学も視野に入れ、自分が興味あることをリストアップ。母親に相談したら、“そんなにいくつも出来ないから、どれかひとつに絞りなさい”と言われて、その時、一番やりたいと思ったことが食堂を開くこと」と進路が見えた。
…ちなみに、智美さんにお母さまの反応を尋ねると、「母は、わたしが割と突拍子もない事言い出すのに慣れていて。何個も出来ないでしょ、とか、お金どうするの?とか、具体的なアドバイスをくれた」のだそう。
それまでの活動で関わりのある方が多い土佐山田で食堂を開こうと、大学4回生の春から商店街周辺で店舗物件を探す。「山田は保育園から大学まである町ということもあって、子どもたちや、食生活が乱れやすい大学生とかに来てもらいたい」という考えもあった。物件がなかなか見つからなかった中、高知工科大学近くの『茶房古古』がカフェの間借り営業を受け入れていると聞き、相談に訪れた2020年8月、夜の時間帯をお借りする話がまとまる。「仕事から疲れて帰ってきたお母さんたちにも使ってもらいたい」という智美さんの望みも叶えられる展開となった。そして、『おすそわけ食堂 まど』は、9月5日にオープンした。
オープン当初、食材は知り合いの農家さんから分けていただくことが多かったが、子ども食堂関連のネットワークや社会福祉協議会からの寄付に加え、『まど』の存在が知られるに連れ、地元農家さんの野菜も寄せられるようになっていく。また、大学の卒業論文を執筆しながら週4~5日の食堂営業は、手伝ってくれる友人や後輩にも恵まれ、着実に常連客も増えていった。
大学卒業と香北町への移転
智美さんは、先々どのように食堂をやっていくのか迷いつつも、『まど』をやめる選択肢はなく、継続して店舗物件を探していた。お店をオープンして約3ヶ月後、いなかみ から以前にカフェの営業があった物件の紹介を受けたことをきっかけに、「大学卒業前に次の場所を決めることが出来ました。誘われていた高知市内という選択もあったのですが、神母ノ木のときから来てくださっていた香北の方々に寄り添える場所がいいな」と香北町への移転を決めた。
移転するにあたっては、「新しいお店の設備や物品はどうするの?」と気にかけてもらうことが多く、造作も含め設備的なものの大半を寄付で整えることができたという。短い準備期間を駆け抜けて、2021年4月、香北町に『おすそわけ食堂 まど』をオープンした。
『おすそわけ食堂 まど』の営業
香北へ移ってからは毎週月曜が定休日となり、ランチタイムの営業も始まった。メニューは、ジビエカレーなど定番のメニューもありつつ、その日にある食材から日替わりで定食を組み立てる。
「お昼に開けるようになって一番変わったのが、小学生でも子どもたちだけで来るようになったこと。毎週土曜のお昼に来てくれる子が何組かいて、時々開催するイベントにも参加してくれています。ボランティア的に『まど』に関わっている子どももいて、その子の関心に合わせて一緒に作業します。やる気まんまんでエプロンを持参した子には、厨房の中で盛り付けを手伝ってもらったり、配膳で前に出てもらったり、チーズケーキを一緒に作ったりすることもあります。お店の休憩時間にもいる子には、『まど新聞』を書いてもらったり」しながら、子どもたちの居場所を開き続けている。
「料理することは常に真剣ではあるけれど、野菜はハネでもとてもきれいで色が鮮やか、野菜と向き合うことそのものが楽しくて。」「多くの生産者さんに応援していただいています。何より、子ども達がやって来て、ご飯を食べてくれることが、『まど』を開く支えになっています。」とまっすぐに話す智美さん。
「とりあえず、この場は長く続くのが一番の目標です。地域の方々からは、営業日を減らしてもいいから、とにかく長く続けてほしいと言っていただいています。今後は、地域の方に来ていただくだけでなく、どうしたら気軽に使ってもらえるかも試行錯誤しながら、ここをみなさんにオープンにし続けたいと思っています。」と想いを語ってくれました。
『おすそわけ食堂 まど』は、今日も訪ねた人を「おかえりなさい」と迎えています。
(記事作成:NPO法人いなかみ)