2021年11月発行の「いなかみだより№40」をお届けいたします。
香美市の移住者インタビュー08
山の上の本屋 「うずまき舎」 村上 千世さん
香美市香北町の中心部美良布から物部川を渡り、山道を登ること約10分。「うずまき舎」があります。舎主の村上千世さんに、
山の上で本屋を開くに至ったいきさつをお聞きしました 。
千 世 (ちよ) さん 兵庫県神戸市出身。京都市内の短大を卒業後、販売や商品企画など、会社員生活を経て、2009年から田舎暮らしを目指し行動開始。2010年高知市へ、その約一年後に香美市香北町中谷へ移り住む。2014年3月「うずまき舎」開店。
1974年、第二次ベビーブーム世代として生まれ、新興住宅地で育った千世さん。子どもの頃は絵を描いたり本を読んだりすることが好きで、高校は工業高校のデザイン科に進学する。高校入学当初の目標は、広告印刷物や大量生産品をデザインするデザイナーになることだったが、実際にデザインについて学び、その気持ちが変化してきたという。
「ある授業の中で先生が、AIDMA(アイドマ)※という言葉について説明していた時に、強い違和感を感じました。それは、“目新しいデザインや機能で消費者の関心を引きつけ、欲しいという気持ちを強く呼び起こして商品購入に向かわせ、その後も、次々とモデルチェンジを繰り返し、以前の商品はもう古いと思わせることで次々に消費を促すのがデザインの目的”という趣旨でしたが、その話を聞いて、自分がデザインしたものが、作る端からゴミになるなんて嫌だな。自分が作ったものはできるだけ長く使い続けて欲しいし、そういうものを作りたい。」と思うようになった。
その後、進路希望を変更し、陶芸が学べる京都の芸術短大へ進学するも、卒業を前にして陶芸に関わる仕事の求人はゼロ。当時は、陶磁器製造業の落ち込みもさることながら、就職氷河期真っ只中だった。結局、在学中に就職先も決まらぬまま卒業し販売の仕事に就いた後、何度かの転職を経て、手芸用品メーカーに就職。その会社で手芸素材や手作りキットなどの商品開発を担当した。千世さんは、会社の仕事で感じたこととして「仕事は好きな手芸の道具や素材に囲まれ、忙しくも充実していた反面、企画と廃番のサイクルの早さや、廃棄となる資材の多さを見るうちに、高校生の時に感じた違和感が再び呼び起こされることになりました。」と語った。
※AIDMAの法則…商品購入に至るまでの、消費者心理を表した心理段階を表すAttention(注意) Interest(関心) Desire(欲求) Memory(記憶) Action(行動)の頭文字をつなげた略語
田舎暮らしの先輩との出会い
2008年のある日、会社の友人に誘われ、京都の本屋「恵文社」で開催された器の展示を見に行った千世さんは、展示を企画していた編集者から、近く出版される早川ユミさん(香美市香北町在住の服飾作家・文筆家)の著書『種まきノート』の出版記念のワークショップに参加するように勧められる。後日、ワークショップの会場でユミさんに対面し「ユミさんみたいな暮らしがしたいと思っていた」と気持ちを打ち明けたところ、ユミさんからは「それならすぐに始めなきゃ」という真っ直ぐな答えが返ってきた。その出会いをきっかけに、会社退職を決め、田舎暮らしに大きく舵を切ることになった。
以下、千世さんが語るに…
① 高知への移住を決断するまでの話
「田舎暮らしをしようと決めた当初は実家のある関西周辺で移住先を探しており、京都府北部の農家に滞在したり、三重まで自然農の勉強会を受けに行ったり、神戸市の北部で開かれていたパーマカルチャースクールに参加してみたりもしました。ただ無職の人が移住したいといっても当然怪しまれるので、柿渋で染めた地下足袋を看板代わりに、訪ねた地域の市に出店することもありました。変わった物を作っている人として覚えてもらえるのが幸いして、あちこちにいろんな知り合いもできましたが、半年経ってもなかなか移住先が定まらず、再び高知を訪ねることにしました。最終的に高知に着地することになった決め手は、高知オーガニックマーケットでの“おためし出店”でした。他所で出店した時よりも、お客さんや出店者が親しく話しかけてきてくれて、さらにご飯食べにおいで、とか泊まって行きなよなどと声をかけてくれたり。お遍路文化の影響でしょうか、ここならひとりで移住しても大丈夫そうだとはじめて思えたんです。 」
② 移住と本屋をオープンする話
「はじめから田舎の一軒家に住みたいと思っていましたが、なかなか適当な場所が見つからず、最初の一年は高知市内の賃貸アパートで生活していました。その後、早川ユミさんの仕事をお手伝いするようになってから、ユミさんの協力もあって念願の一軒家をお借りすることができました。ユミさんの“お弟子”はだいたい3年で独立することになっていたので、仕事を手伝いながら、将来の仕事と生活を考え続けていましたが、どうせなら、今ここにないもので、自分が一番必要だと思うものを作ろうと、本屋を開業することに決めました。はじめは山の上ではなくふもとの商店街で探そうとしましたが、これが片っ端から断られてしまい、困り果てた末、当時借りていた家の一室をお店として使いたいと家主さんに申し出たところ、あっさり許可がおり、それからすぐに本屋スペースの改装に着手。地元の大工さんの協力を得ながら、できることは自分でもやって、2014年3月にようやく山の上の本屋『うずまき舎』をオープンさせました。」
山の上での本屋と暮らし
現在、千世さんはお店の営業に加えて、地元の有機農業法人で情報発信や書類作成のアルバイトをしている。「わざわざ訪ねていく本屋の形態が、経営的に単体で成り立つ仕事とは考えていない。もともと山村は、農業も含め専業でひとつの仕事をしている人が生活してきた地域ではない。今、何と組み合わせるかという点に置いては、昔とは違う職種が入ってきている」と分析。「今までと違うことをするのだから、自分なりに考えないといけないし、自分の生活スタイルに合わせて、地域の状況に合わせて、どうするかはその都度考えないといけない。マニュアルがあるわけでもなく、誰かの真似をすればいいというわけではない。自分自身がどうするかを決めることも仕事。働き方として、組み合わせる内容は変わるかもしれないけれど、この先も、本を売るだけでない働き方をしていくと思う」と話してくれた。
地域の中では集落の区長を引き受けており、道役(みちやく:草刈りなど環境整備)や神祭などに参加、借りた畑を耕しつつ、香北町での暮らしを作ってきた。数々の行事に参加することは、どうしても時間も労力もかかってしまう。そのことについて、千世さんは「地域のつながりは、いまここだけの関係だけではなく脈々とつながってきたもので、とても大事。棚田がきれいなのも、一生懸命働いている方々がいるから、この眺望がある。神様ごとに参加するのも、自分にとっては信仰というものではなく、ここの地域を作り、亡くなっていった方たちのへの敬意のようなもの」と語る。
本屋の移転とこれから
昨年、とりまく状況の変化の中で、うずまき舎は移転することになった。
「今すぐできるかどうか、ではなくて、どうしたいか、っていうことに焦点を当てたとき、畑もやりたいし、実のなる木も植えたいし、動物も飼いたい。そのためには自分の場所が必要だと思いました。本屋の姿というのも、自分の思い描く絵が別にあって、それを生きているうちに実現したい、本当にどうしたいかを、再び問い直す機会となりました。この集落に愛着もあるし、これから別の場所でまた人間関係を構築するよりもこの集落内で、新しいうずまき舎を構想しています。」
当面の移転先としては、近所で新たに店舗兼住居となるお家を借りることができた。
そして、昨年11月に移転リニューアルオープン。以前の立地より少し標高が下がり、造りが近代的になった。しかし、厳選された書籍の並びの面白さは変わらず、丁寧に作られる喫茶メニューも安定の美味しさ。
千世さんのゆったりとした口調と同じく、この先も少しずつ、新しい「うずまき舎」が展開されることを楽しみにしています!
(記事作成:NPO法人いなかみ)