2021年9月発行の「いなかみだより№39」をお届けいたします。
香美市の移住者インタビュー07
物部ゆず農家 「三戸農園」 三戸毅さん
香美市物部町仙頭と香北町西川、2つの圃場で新規就農をした三戸さん。山の眺望広がる作業場にて、就農に至るまでのお話や、柚子栽培への思いをお聞きしました。
三 戸(みと)さん 1969年大阪府生まれ。約20年にわたって大手住宅建築会社の営業職として勤務。
2017年、高知県内での就農を目指し、四万十町の「クラインガルテン四万十」内へ移住するとともに、2018年3月まで「高知県立農業担い手育成センター」で農業研修を受けながら移住就農先を検討。柚子就農を決意し、2018年4月に香美市民となった。
三戸さんが思春期を過ごした時代は、「他人より秀で、いい学校に行き、いい会社に入るといったような、競争社会で勝ち残ることが幸福である」という価値観が社会全体で共有されていた。その価値観をひときわ強固に内面化した両親との関係に息苦しさを感じ続けた三戸さんは、高校卒業と同時に家出同然でひとり暮らしを始め、自力で生計をたてながら大学に通った。そうするうち、「自分自身も内面化しているが故に苦しむことになる思考様式や価値観とは何物で、どうすればそれらから解放されるのか」という問題意識が培われた。
しかし、一方で、結局何からも自由になれないまま大学を卒業し、大手企業に就職。生きづらさを抱えつつも、「席次争いに血道をあげる」競争にどっぷり浸かる会社員人生を送っていたそうである。
生き方を変える転換期
住宅販売をする企業で社会人生活がはじまった時期は、阪神淡路大震災の後で忙しかった。現場で汗をかきながら仕事をし、2012年には愛知県にある会社本部のマネジメント部門へ配属される。その前年には、東日本大震災が起こっていた。地震津波と原子力災害で大きな被害を受けた方々が、「日本社会の中で放り出された」と思わざるを得ない実情を見ながら、ご自身は企業社会や日本文化を取り巻く「立場主義*1」が生み出す生きづらさというものに気づき、だからこそ自覚「してしまった」ソフトだが凍てつくような苦しみの中で仕事を続けたという。「いやいや、おかしいんちゃう?」と疑問を持ってしまった状態で仕事に向き合うほどに、会社の中で空回りするようなところが出てきたそうだ。
同じ頃、「もっと幸せを実感できる人生を拓きたいと思うタイミング」が訪れ、退職することを考え始める。その先には、他社に転職する選択肢は全くなかった。「自分を商品化せず生きて行きたい」と思いながらネットで情報を集めていた時に、高知県立農業担い手育成センター(以下、センター)のHPを見つけ、参加を決める。高知にはサーフィンをするために訪れたこともあり、徳島県回りで海岸線を走っていた時に感じる高知の秘境感が気に入っていた。三戸さんは、高知県が農業で人を呼び入れようとしていることを知り、「自営農業の世界で、自分の気持ちが本当に望む方向性に耳を澄ませながら毎日を過ごせるかも」と考え、高知県農業の世界に飛び込むことにした。
*1 …立場主義:安冨歩著『生きるための日本史 あなたを苦める〈立場〉主義の正体』(青灯社)他、参照。
(参考記事として https://diamond.jp/articles/-/139121)
高知県立農業担い手育成センターでの研修
センターの職員は、最初に必ず「どの地域に移住したいか?」「何を栽培したいか?」をヒアリングするそうだ。三戸さんは、家庭菜園さえやったことがなかったため、半ば本気で 「仕事量に比べて、収入が安定している作物は何ですか?」と逆質問。職員は失笑しながらも「柚子かな〜」と答えたそうである。
2017年4月、クラインガルテンに引っ越し、隣接のセンターへ通って農業を学ぶ日々が始まった。「柚子かな〜」と気になりつつも、センターの研修内容は野菜のハウス栽培が基本であり、何をやっても、どんな作業も楽しかったという。また、研修生の希望に応じ、センターが、JAなどの見学先や篤農家の紹介などセッティングしてくれるため、各産地へも出向くことが出来た。様々な経験をしつつも、半年後に残ったのはやはり「柚子」だった。
就農先の検討と柚子産地としての物部
高知県は柚子王国であり、複数の市町村が柚子栽培での新規移住就農者誘致を目的とした施策に取り組んでいる。例えば、リフォーム済み住居の提供や、農作業で必要となる高価な農業機械の貸し出し制度、すでに苗木を育成した圃場を就農者の為に用意しているところもある。一方、香美市には「産地提案書*2」に基づく支援以外に特筆するような仕組みはなく、そもそも誘致しているかどうかも聞こえてこなかった。
三戸さんはいくつかの市町村を訪ねた後、参考までにという気持ちで最後に訪れたのが香美市だった。その際に、センターの同級生ご家族が柚子栽培をしているということで立ち寄った先で彼のお父様と出会い、そのことが大きな契機となった。その方は、人格、考え方とも素晴らしく、この師匠の元で学びたいと思ったそうだ(その素晴らしさについて、三戸さん曰く「知れば知るほど、感銘を受けている。私のつたない言語能力では表現できない」とのこと)。
また、柚子生産については、果汁を絞るなど加工目的の「酢玉(すだま)」を生産出荷する地域が大勢のなか、香美市の「物部ゆず」は、きめ細かな栽培管理をすることにより、果実自体の外観の美しさを重視する「青果柚子」として生産出荷するという特徴があった。つまり、「物部ゆず」は商品としての付加価値や利潤が高く、自営農家として一本立ちしやすいとのこと。専業農業として生きたいと思っていた三戸さんは、香美市で就農することに決めた。ちなみに、物部の青果柚子は2020年「物部ゆず」という名称で農水省地理的表示(GI)保護制度*3に認証登録されている。
*2 …就農までの流れや支援体制などを明らかにし、県内外から新規就農者を募集する制度。香美市の品目は、柚子の他、大葉、ニラ、小ねぎ、青ネギ、オクラ、生姜。
*3 …「夕張メロン」や「神戸ビーフ」など、知的財産保護を目的とし産地と作目がセットで登録名として行政より指定される 。
香美市での就農と暮らし
2017年10月〜11月には、香美市お試し移住体験住宅を利用し、柚子収穫作業も経験した。その後、香北町永野にある集落営農組織の見学などをしつつ、移住後の住居を探す中、物部町にある賃貸物件の紹介を受け住居も決まった。
2018年4月からは、高知県担い手支援事業による助成を受け、農業指導士でもある師匠の元で営農研修が始まった。研修開始から2〜3ヶ月後には、トントン拍子に物部町仙頭にある柚子園の継承話や、香北町西川に柚子圃場として利用できる農地の紹介があり、独立後の圃場を確保した。西川に苗木の定植、9月には研修制度を終了し、柚子農家として独立したのである。
当初、物部町に移住したが、もともと居住先にと希望していた香北町永野地区で空き家が出たため転居。現在は、永野から2箇所の圃場に通っている。日が長い夏場は早朝3時頃に起き出し、お弁当を作り、ゆっくり朝ごはんを食べてから出発。昼間の暑い時間は昼寝をしているという。時間に追われない、自分のペースで動くことを「よし」として生活しているとのこと。農業を始めようと思ったのは「闇の力に駆動されるモチベーションではなく、自分がやりたいと思い、そこから湧き上がる力で動く働き方 」をしたかったからであり、今まさに、それを実現できた喜びを実感しているそうだ 。
柚子栽培の未来
三戸さんの「物部ゆず」をとりまく現状に対する思いは、柚子農家をまとめ、産地全体の利益を考えている師匠が持つ問題意識の影響が大きいという。
全国の小規模農家、特に専業農家が抱える経営の継続性という問題において、10年先20年先の見通しは厳しい現実がある。現在170軒ある物部ゆず農家は、10年後には100軒程度まで減るという予測があるとのこと。かつて、物部のJA柚子生産部会は「量と品質」で市場に対峙してきた歴史があり、現在もその組織力が維持されているという。それを途絶えさせないためには、計画・継続的に新規就農者を迎えることにより、現在の生産量を確保し続けるだけでなく、まだ見ぬ彼らの知恵も活用しなければならないと、三戸さんは考えている 。
移住で新規就農を果たした三戸さんはご自身のできることとして、新規就農のプロセスで出てくる不具合や問題点を発見し改善するためのお手伝いであると思い定め、柚子部会の一部員として動いている 。
(記事作成:NPO法人いなかみ)