2021年5月発行の「いなかみだより№37」をお届けいたします。

香美市の移住者インタビュー05

押宇土工房(おしうどこうぼう)

髙村境次さん・仁美さん・匠一郎さん

 

香美市香北町の中山間集落にある日当たり抜群の古民家をリフォームし、高知市から移り住んだ髙村さんご一家。生活の場を作ることや地域を大切にする思いなど、盛り沢山にお話しいただきました!

仁美さん 匠一郎さん 境次さん (敷地の入口にある長屋門にて)
仁美さん 匠一郎さん 境次さん (敷地の入口にある長屋門にて)

境次(きょうじ)さん  山口県生まれ。小6で父親の故郷である高知へ移住。職場で出会った仁美さんと結婚。55歳で37年勤めた前職を早期退職し香北町へ。現在は市役所臨時職員として香美市全域の空き家調査を担当。全空き家を踏破し、調査は2巡目中。

仁美(ひとみ)さん  高知市で生まれ、香北町へ移住するまでは高知市内で生活。50歳で30年間勤めた前職を早期退職。専業主婦を経て、現在は農作業パートにも出るなど、香美市内での生活圏を広げている。

匠一郎(しょういちろう)さん  1996年高知市生まれ。保育園時代に発達障害との診断を受け、小学校は障がい児学級に通い、中・高は日高養護学校で学ぶ。現在は、香南市のB型作業所「風車の丘」へ週3日通う。

もうひとりの家族メンバーは、大学進学時から東京在住の社会人4年目となるご長女。 香北町の生活は(2+1)人暮らしを想定して移住。人数が和算になっている理由は、本文にて➙ ➙


 髙村さんご夫妻は、それぞれのタイミングで早期退職するまで、フルタイムで仕事を続けてこられました。匠一郎さんの子育てについては満1歳で保育園入園後、仁美さんのご両親やシッターさんの助けも借りながら、なるべく地域の中での生活を大切にしてきたとのこと。その生活には、匠一郎さんが「将来、地域で暮らせるように」という思いが込められていました。境次さんは40歳ごろまで、子どもの環境を最優先に考え、障がい者支援に関する活動など当事者の立場からも尽力されてきました。次第に、「親自身の人生も大事」と考えるようになったとお話されました。


田舎暮らしを考え始めたきっかけ

「ものを作ること、想像して組み立てていくことが好き」という境次さんは、職場ではコンピューターシステムを構築する仕事を手始めに様々な業務に取り組み、自身の創作活動として20代後半から作陶を続けてきた。仁美さんと結婚したときには、漠然と、いずれは田舎で暮らすと話していたそうだ。子育て優先の時間を経て、田舎暮らしを具体的に考えるようになった理由のひとつは、将来への不安。

「国が抱えている借金、低い食料自給率と多発する自然災害、そして、世界で頻発し続ける地域紛争という現実を考えたとき、将来、ハンディを持った子どもが安心して暮らしていけるか不安があった。アクシデントが起こった時には、弱い人間が暮らしにくくなっていくことはわかっている。子どもの暮らしを守っていく方法について、防災の観点である“自助・共助・公助”の言葉で説明すると、経済面では“自助”でやっていくつもりであっても、暮らしの場としては地域コミュニティでの“共助”がすごく大事と考えた。“自助”“共助”を実現していくためには、町で暮らすよりは田舎のほうがいいよね、という結論に達した」とのこと。

そしてまた、匠一郎さんには「一人暮らしをしたい」という希望があった。

 

暮らしの場として家探しを始める

高知市での住居は、便利さだけを考えた16坪の土地に3階建ての家を建てた。40歳ごろ先を見通すようになって田舎の物件を探し始め、一時は物件価格が安い岡山県への移住も考えた。ただ、親のことやお墓のことを考えたら、やはり高知県でという判断となり、県内すべての“空き家バンク”を3年くらい見続けていたという。

希望する条件は、「日当たりの良いところで、陶芸ができて、子どもも暮らせるような田舎」であること。特に、香美市を希望していたわけではなかった。そんな中、現在お住まいの家が香美市空き家バンクに上がった時には、「山間地に関わらず日当たりが十分にあり、価格的にもちょうどよかった。離れの建物があったので、息子が別棟で暮らすことができる。息子には一人暮らししたいという希望があったから、建物が2つあるのは重要だったし、陶芸の作業場や窯を据えるスペースもあった」と、ほぼ即決。

物件との出会いもまた、一期一会のご縁である。

−母屋− 敷地内のあちこちに薪のストックが積まれている
−母屋− 敷地内のあちこちに薪のストックが積まれている
−庭− 菜園や果樹が家屋続きの敷地についていた
−庭− 菜園や果樹が家屋続きの敷地についていた

 

家を整える

購入した古民家の建築年代ははっきりしないが、母屋の建材には明治20年以前に使われていた和釘が用いられていたり、江戸時代のものが出てきたりしたという。改修はお金をかけずDIYをする方針で、水回りや天井のリフォーム・壁の増築など造作部分は大工さんに頼み、壁塗りなどは毎週末土日に高知市から通いながら3人で手をかけ続けた。

生活ができるようになったのは物件購入から約2年後、仁美さんは「畳表を変えたときに、やっとここで住めるようになった」と安堵したそうだ。また、作業をしていく中で「お隣さんとの会話などから人柄を知り、新しい土地での生活が楽しみになった」との話である。

 

現在の暮らし

境次さんは、前職の早期退職後は生活中心の田舎暮らしへ移行するつもりであったが、失業手当受給中に住宅建築の職業訓練を受けたため、家に関係する就業先を探すこととなった。ちょうど香美市の空き家調査員の募集があり、地域を回る仕事をすることに。この仕事については「地域を知り、人と会い、田舎での生き方・暮らし方に触れることができる。昔の話を聞くと、逆に田舎にはまだまだ可能性があることもわかるし、地元の方の話を聞くこと自体が楽しみ」と語り、境次さんは過去の仕事一筋なあり方ではなく、半分実益と思いながら働いているとのこと。

日々のスケジュールは、境次さんの市役所勤務が週3日。匠一郎さんも、同じ曜日に作業所へ通う。他の日は、匠一郎さんと共に畑や薪の世話や家の整備に忙しい。「畑で自分の食べるものは、根菜をはじめ長期保存できるものを中心になるべく栽培するようにしていて、そばや小麦も育てている。小麦は、はじめは石臼を手回しして粉にしたけれど、1キロ挽くのに1日かかったので、これに懲りて、電動製粉機を買った。穀類の栽培は、食べるための手間がかかると実感している」「野菜や山菜も、旬の時期には食べきれない量が手に入るので、とにかく瓶詰めや冷凍するなど食品保存の加工が重要になってくる。乾燥して保存するものは、外で乾かしたものを、薪ストーブで乾かして仕上げる」など、仁美さんと手分けして、工夫を重ねているとのこと。

地域活動の草刈りや集まりごとには極力家族3人で出ていくようにして、地域の中で仕事し、自分たち家族を知ってもらうように努めている。

−薪ストーブ− 暖房や調理だけでなく乾物づくりにも大活躍
−薪ストーブ− 暖房や調理だけでなく乾物づくりにも大活躍
−保存食−(左上より時計回りに)煮た厚切り大根を乾かした“ヘソ大根”/切り干し大根/たけのこ水煮/高きび
−保存食−(左上より時計回りに)煮た厚切り大根を乾かした“ヘソ大根”/切り干し大根/たけのこ水煮/高きび

 

場を開く「押宇土(おしうど)工房」

“押宇土”はこの地域の名称である。おふたりには、地域に外からの関係人口を増やしたいという思いがあったので、陶芸の体験教室的な場を作ろうと考え名付けたそうだ。教室を通じ、お手製のパンやスープでもてなすことや、ピザ窯で一緒にピザを焼くことも想定。敷地にある土蔵は、地元の方も集うことが出来る「ギャラリーのようなスペース」に整える計画である。ところが、すでに高知市内のご友人やつながりのある方がDIYで改修した古民家の見学に来るなど、早くも100名以上が訪れているという。

−菜園からの風景− 髙村家が食べるお米は、家から見える田んぼで栽培されるものを購入している
−菜園からの風景− 髙村家が食べるお米は、家から見える田んぼで栽培されるものを購入している

仁美さんは「人との出会いが楽しい。市内にいたときは日々の生活が忙しくて、人を招くようなことはなかった」とのこと。さらに、「家の改修は大きなものづくりであって、究極の楽しみ」と語る境次さんのもとには、移住者からDIYについての相談も届くように。境次さん曰く「押宇土工房は、なんでも屋」という状況になりつつある。

境次さんは「田舎の生活は、草刈りや薪づくりを始め、気持ちよく暮らしていくための環境を整えるだけでも忙しいし、家に手を加えたいことがまだまだある。近いうちには暮らしの場づくりに専念したい」とお考え。また、地域の持続のためには子育て世代が増えることが必須なので、資金の少ない若手移住者が住居改修する際にDIYをサポートする仕組みも構想中…


移住定住の支援を行ういなかみにとっても、 「押宇土工房」の存在が心強く、これからの 展開が楽しみでなりません!

(記事作成:NPO法人いなかみ)

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