2017年にはじまり、2020年3月で一旦休止となった「いなかみだより」。
2020年9月発行 No.33からリニューアルし、香美市の移住者インタビューと生活情報を中心にお届けいたします。
香美市の移住者インタビュー01
キセツノオヤサイ葉屋 岩上夫妻
⾹美市で親しまれているオーガニック野菜の葉屋さん。これまでと、今と、これからのお話を、⾹北町永野の作業場でお聞きしました。
岩上隼人さん 1986年北海道出身。学生時代を関西で過ごし、土佐山田町へ。移住当時は料理人を目指したが、野菜の仕入れ係を担当するうち、農業への関心を深めた。
岩上千夏さん 1985年京都府出身。大学で隼人さんの1年先輩。就職を機に土佐山田町へ移住した。長女を出産後は、地元で必要とされるデザインを請け負う他、キセツノオヤサイ葉屋で葉屋母ちゃんとして広報を担当。
なぜ、⾹美市で専業農家に?
「料理⼈」になることを⽬指していた隼⼈さん。度々⾼知へ遊びに来るうちに、⾼知の⾷の豊かさに気付く。千夏さんの「素材が美味しい⾼知がいいのでは。」というアドバイスも追い⾵となり、料理の修⾏先として移住することになった。
ʻフレンチバリバリのレストランʼで修⾏が始まったがなかなか料理業界になじめず、約2年で郵便局のアルバイトに転職。ただ、修⾏期間中の毎週、⽇曜市へ買い出しに⾏く1時間が、⼼底楽しかったという。多様な野菜に触れることができるだけでなく、同じ⽣産者から買い続けることで時期による味の変化も発⾒。お⽫の上の世界よりも、素材そのものに関⼼が深まっていった。
ほどなくして、同世代の知⼈が有機農家として独⽴。⼿伝いをすることになり、仲間のいろいろな農家へも出向いた。「(農業の⼿伝いは)賃⾦不要というスタンスでやっていて、収穫だけじゃなくて植え付けなど、どんな作業でも引き受けた。…今思えば、独⽴というか、農業をするつもりで動いてたんやと思う。」
農家を⼿伝いながら、夜は新たに⾼知市内のレストランでアルバイトも始め、昼は農業・夜はお店で働く⽣活。さらに、⼟佐⼭⽥の野々下農機さんとの出会いから、家庭菜園も始めることに。アルバイト先のレストランは「農家さんを⼤事にしていたし、素材の⽬利きがすごい。農作業の現場がわかりだして、マスターの話がさらによく分かる。それも、フレンチのレストランで学んだベースがあったからだと思う。」と、出会いと経験の折り重なりを説明する。これらの経験から、隼⼈さんの「料理して⾷べるところまでイメージして、野菜を栽培する」という現在の姿勢が培われたようだ。
農業⼿伝いを始めて⼀年が過ぎた頃、今度は、⾹北町に平屋(現作業場)とその近くにある畑1反の所有者を紹介され、アルバイトをやめて引っ越すことに。⾹北町へ来たのは、家、畑、機械を借りることができる環境に出会ったから。この⼟地を選んだわけではなく、⼈に恵まれて、⾃然な流れの着地だった。
なぜ農薬や化学肥料を使わない栽培なの?
今まで、何度もくりかえし同じ質問をうけてきたそうだが、隼⼈さんの中に農法に対しての壁はない。「地球を守りたいとかいう気持ちは全く無くて…農業⾃体が⾃然を加⼯する環境破壊。有機やから美味しいとも思っていない。」
あえて⾔うなら、と隼⼈さんが語るに「⽗親は普通のサラリーマン。週末はへとへとなのに、⽇曜⽇の朝は⼭菜採りに出かけたり、家庭菜園もやっていた。⺟親は、料理好きで保存⾷も作っていた。天然の⾷材があり、保存の技があり、その季節のものが⾷卓にのる⾷⽣活だった。ごく⾃然に⽬の前にあった選択肢が、農薬とかを使う農業ではなかった。」と。他の理由をあげるとすれば「野菜を⼀切⾷べなかった⼦が⾷べてくれた」など、⾷べた⼈の感想が後押しになってきたそうだ。
岩上夫妻は⼝を揃えて「『こういう農家になる』というビジョンが先にあったわけではなくて、楽しいこと、おいしいこと、いいと思うことを、いつもふたりでよく話し合って、確認しながら進んでいる。」と⾔う。
今とこれから
現在、畑は全部で12反。栽培品⽬としては、⼈参、⽣姜がメイン。⼈参はジュースに、⽣姜はシロップへ加⼯もしている。他に季節ごとの野菜も栽培し、タイミングによってはネット販売をしたり、産直への卸もしている。お客さんからの反応がいいから、しっかり栽培し販売するサイクルになってきている。
栽培品⽬を決めるポイントは、健康の栄養⾯の他に、その野菜がもつ展開⼒を独⾃の尺度(⽣⾷、保存、加⼯や体験など何種類もある)で星★に⾒⽴てる。★を書き出して、より多くの、もしくは、より展開の可能性が⼤きい★を⾒いだせた品⽬を選ぶ。「どこまで⼼から⼒を注げるのか。楽しく、私達の中に唯⼀無⼆の価値があるかを⼤事にしている。」とのこと。
隼⼈さんは、これからの農業者は作って売る、加⼯して売るだけでない、次のステージがあると考えている。
「畑体験の中で野菜を⾷べるなど、⼈の気持にコミットするような、場の提供も含めたかたち。それも、⾃分たちだけでできることではなく、⼈とつながって実現できること。」
⻑⾬のような天候不順などその時々の困難もあるけれど、つねに明るい発信している葉屋さんの元へは、⾒学や援農希望が絶えない。その交流から、また様々なアイデアを受け取っているそうだ。「楽しいことは伝染する。」と確信をもって進化する農業スタイルを、いなかみでは勝⼿にʻ8次産業ʼと呼んでいる。
キセツノオヤサイ葉屋HP https://oyasai-haya.jimdofree.com