♪ 土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんカンザシ買うを見た ♪ と歌われるご存知「よさこい節」。

五台山竹林寺脇坊「妙高寺」(現牧野植物園敷地内)の住職「純信」と出入り業者であった鋳掛屋の娘「お馬」。実際にカンザシを買ったのは横恋慕を企む純信の部下「慶全」であったそうで、かわいそうに慶全は純信に追放されています。
そんなことをしても、僧侶の妻帯が禁じられていた当時のこと。江戸時代末期の安政2年(1855年)、純信37歳とお馬17歳は逃避行に走るのでした。

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さて、どこを通って行ったのでしょう。当時の主要街道は土佐街道(佐川町〜仁淀川町)、土佐北街道(南国市〜大豊町)、野根山街道(奈半利町〜東陽町)。脱藩するんだから、そんなところを通るわけがありませんよね。

夏も近づく5月19日夜半、舟入川沿いを山田郷に向かい…と伝えられているということは今の高知県立美術館あたりから舟に乗ったのかもしれません。舟入川の東端は現在の土佐山田町談議所にあり、ここから物部川に入り、北岸に沿って、昼過ぎには日ノ御子(香北町)に着いたとあります。

おっと、いなかみの事務所横を通過しているではありませんか。(^^;

道案内は、楠目村(現土佐山田町楠目)の安右衛門。純信が若い頃に楠目村のお寺で修行をしているようで、ここで安右衛門と知り合ったのかもしれません。

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そこから、さらに物部川北岸(右岸)に沿って北上し、香北町猪野々から山道へ。現在は林道松床(まつどこ)楮佐古(かじさこ)線として整備されている道を八京峠、楮佐古、神池を通過。笹越えの手前で事情を悟った番所の庄屋さんは「この番所の裏手に阿波への抜け道があるが、二人は決してその道を越えてはならぬ」と、暗に裏道の存在を教えたとも伝わっています。

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その後、祖谷の山道を超え、讃岐の金毘羅さんで土佐藩から追いかけてきた追手に捕り押えられ、哀れ二人は土佐へと送還されるのでありました。

高知の幕末と言えば坂本龍馬。当時、龍馬は19歳で江戸の修行から戻っていたので、この話を身近に聞いていたかもしれませんね。

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現在、香北町の八京峠には往年の昔を偲ぶように純信・お馬の石碑が建立され、峠から二人が目指した物部の山並みを一望することができます。

春本番のいい季節、二人のことを想いつつ、香北町〜物部町の山道をドライブしてみませんか?現代を生きる幸せを改めて感じること、請け合いです。

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NPOいなかみ

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